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(343) 「’09クラフト・フェアーまつもと」・・・素描・・・。






例年と同じく雨が降ることの多い「クラフト・フェアーまつもと」が
松本市のあがたの森公園で今年も開かれた。



案の定、今年も雨に時々降られる30日の土曜日にぼくは出かけた。



100年に一度の不景気にも関わらず多くの人が訪れていた。



「ジパング・イズム」に出店してもらっている作家も何人か出品している。



特に目をひいたのが、渋谷系・ギャル・チンドン屋が会場を一段と華やかに・・・。





   
    会場を訪れたの人々               アクセサリーを売る女性           

   
     カラフルな陶芸                    ギャル・チンドン屋

   
       木の皮とわらじ                  手作り万年筆

   
       漆の葉                        陶芸の器など

   
       焼物の人形                   木のつるで編んだかばん

   
        陶芸の入れ物                    染めた手ぬぐい

   
      外人も思わずシャッター              小さい木の家
   
     木製の穴のあいた帽子               石膏で作った靴の型

   
      アクセサリー作り                 ギャル・チンドン屋

   
       木製パズル                      カッパの人形

   
      売店のメニュー                    陶芸の花器

   
       石をナイフで切る                  デキシーバンド

   
        木製風車                     コップの製作実演

     
        飴の彫刻                     イヌもびっくり・・・








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(342) 校長先生の子供たち・・・(6)





ミスター・ヘンリーにお願いして「スタディー・ツアー」を体験するのも
カンボジアを訪問する理由の一つであった。



しかし、たまたまぼくら4名が訪れた時はカンボジアの祭日である
シハモニ国王誕生日で学校が休校であった。




ぼくらはシェムリアップ到着3日目に、ミスター・ヘンリーらが援助している
小学校にお願いして、学校を見せてもらうことにした。




祭日にも関わらず、校長先生に出てきてもらい簡単な話を聞くことが
出来た。



学校を寄付してもらっても、それらを維持管理することが
なかなか容易でないと、いうような話だった記憶がする。



28日のブログのように、校長先生は妊娠してお腹が大きくなっていて、
3人の子供を連れてきていた。




写真の一番小さい子供が校長先生の子供である。




他の子供は校長先生の甥や姪とのことであった。




校長先生の子供でも、足は裸足で、着ているものは決して豊かなモノでない。




その顔は、



はにかみながらも、



ちょっといじけていて、



ぼくらが子供のころと同じような顔つきをしているのが印象的だった。












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(341) そして、「スタディー・ツアー」へ・・・(5)


*ライオンズ・クラブから送られた校舎




最近日本も貧富の差が激しくなる傾向にあるというが、
カンボジアの貧富の差は、日本どころではないだろう。




ぼくは、日本を発つまでは全く考えもしなかったことを、このカンボジアの貧しさの
極まりない現実を見てから考えこんでしまった。




おこがましいことだが、考え始めるとこの難題は途方にくれてくる。





*昔からの校舎、右端の建物は生徒が増えすぎて増築した教室




「教育が貧しさから抜け出る方法の一つだ」




中国で大学を作りすぎて一挙に大学卒業生が増え、この100年に一度の
大不況で就職先がない・・・という内容の放送を帰国後NHKテレビで
放映していた中に、就職できない中国人大学生が話している言葉だった。




貧しさから抜け出る唯一の方法が、より良い教育を受けて収入の多くなる就職口を探す、
いうことが中国の一般市民には当然のこととして受け入れられているようだ。



まさに、カンボジアの場合も、



教育を受けることによって、貧困から抜け出る可能性が大きくなるということを
認識してもらうことから始まるのだろう。




そんな手助けの一歩として、



日本のライオンズ・クラブ、NPO,マスコミなどが中心になって、
カンボジアの小学校に校舎を贈ろうという運動を始まったようだ。



しかし、



贈りっぱなしではなく、少しでもカンボジアの授業現場に立ち会って、
迷惑にならない程度に授業に参加し、我々が試行錯誤してきた経験を生かし、
それらを有効的に伝えることが出来ないだろかという発想から
「スタディー・ツアー」というボランティアが生まれたのだろう。



決して贈る側の自己満足だけで終わらせない為に、



又、お仕着せの施設を贈るだけではなく、
それをいかに維持発展させ、とりあえずは
文盲率を下げる為の仕組みを定着させることが重要なのだろう。




そして、




力まないささやかな一歩ではあるが、
献身的な努力を続けているミスター・ヘンリやミス・サヤカの
協力を得て息の長い「スタディー・ツアー」を実現させたい。





*日本から持っていったクレヨンをUさんから小学校の校長先生に贈呈





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(340) 貧困のトンレサップ湖周辺の住民 (4)






話は10日さかのぼって、5月11日。




成田を朝10:30に出発のベトナム航空で空路ホーチミンに入り、

乗り継ぎ後シェムリアップには夕方5時半頃に着いた。




シェムリアップは世界文化遺産であまりにも有名なアンコール・ワットの
ある町だ。




おもえば40年ぶり、旧友のFと訪れて以来のシェムリアップ。



感無量!



空港に迎えに来てくれたミスター・ヘンリーの経営するホテルに

5泊して、彼と今後のビジネスの話をするのがカンボジア訪問の

大きな目的の一つだった。



雨季にさしかかっていたせいか、シュムリアップは思ったほど暑くなかった。



ホテルに向かう途中の国道6号線沿いには、建設を中断しているホテルが

やたらと目に付いた、ヘンリーの説明によると景気悪化と豚イーフルエンザの

影響で大分観光客が減っているらしい。



平均でホテルの稼働率20%だという。








次の日、



ぼくら4名はビサールという元学校教師の日本語ガイドの案内で

雨季になると湖の面積が3倍になるというトンレサップ湖観光に出かけた。



向かう途中の農民や漁民のあばら家ともいえる家が続く。



ビサールの説明によると、昔から比べたらそれでも大分生活が

向上したという。



しかし、先進国入りした平均的日本人から見ると、

困窮極まりない生活環境に見える。



世界の最貧国のひとつにカンボジアも数えられるのだろう。



何が、生活の向上のさまたげになっているのだろうか?



という疑問が、沿道の家々を見ていると湧いてくる。



ガイドのビサール自身も学校の教師では生活が苦しくて、

やむおえず、日本語学校にかよってガイドの道を選んだという。



世界中から集まってくる優雅な観光客と、

地元カンボジア人の経済落差をまざまざと見せ付けられた。




何をどうすれば、この貧困から抜け出ることが出来るのだろう?。






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(339) ザ・マジェスティック (3)・・・。






ぼくらがホーチミンで泊まったマジュスティック・ホテルは十分に、
満足できるものであった。



旅の終わるに高いホテルに泊まりたいと同行した Tから言われ、

マジュスティックに2泊することにしたのだ。




従来、ぼくは人の温もりが伝わってこないマニュアル化された

高級ホテルはあまり好きでない。



しかし、伝説のこのホテルは申し分なかった。



なぜ、マジュスティックを選んだのかというと、




マジェスティックという響きが良いなのか、

前日のプノンペンでは一泊2500円の安ホテルに泊まったからなのか、

それとも、外からのバイクや車の喧騒を忘れさせてくれるからなのか、


または、

開高健などがこのサイゴンの魔球の夜空を眺めながら乾杯したように、

屋上のバーで旅の最後の乾杯をしようと、旅の出発前から考えていたからなのか。




理由は分からない。




もちろん、



Tとは別々に部屋をとったが、



一人で寝るにはあまりにもさびしすぎる部屋だった。





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(338) エキセントリック ・ ホーチミン (2)・・・






旅の終わりに、ぼくたちはカンボジアのプノンペンからバスで国境を超えて、
ベトナムに入った。



ベトナムに入った瞬間から、道路は片側2車線となり、カンボジアと
ベトナムの経済力の差を実感した。




カンボジアと比べて、車やバイクの通行料の多さも歴然と違っていた。



何しろ、

バイクの多いことには驚かされた。




雑誌やテレビで話を聞いていたが、

横断歩道も信号機もほとんどないベトナムで、

道路を横切る時は、

命懸けで渡らないといけない位、

危ないのである。



道路を横切っている人がいても平気で、車やバイクが突っ込んでくるのだ。



決して大げさな言い方ではない!



これは実際経験をしないと分からない。



だから、


ぼくらは道路を渡るときは近くにいる優しそうで、

道路を渡るのに十分経験をつんでいるベトナム人にお願いして、

先導してもらい、道路を渡ったものだ。




もしくは、道路の要所要所にいる交通警察官にお願いもした。



もっと信号を作るか、横断歩道橋を作らないとゆっくり市内を
散歩やショッピングすることさえも出来ない。



それがまさにベトナムの今の姿なのだ。




ドライな、そして無表情で運転しているベトナム人をみると、

それだけ、生きていく競争が厳しすぎるのだろうか。




非常に失礼な言い方をすれば、アリの移動みたいな印象なのだ。



それでも食べていかなければ、現実があるのだろう。




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(337) 「ミス・サイゴン」を飲みながら、ミステリアスな旅の終わりに (1)・・・







十数日の旅が終わった。




ぼくたちは、宿泊しているホーチミンの「マジェスティックホテル」の
屋上のバーにいる。




思えば、




今回の旅は十数日の短い期間の旅ではあったが、新たな長い長い旅の出発の旅に

なるかもしれない。





このバーの眼下にはサイゴンの夜景をバックにして、

とうとうと流れる夜の闇にまみれたメコン川が、

少し酔いがまわったぼくを、



川の流れている先にある、かすかな、そして、まだはっきりとしない光へと

導いてくれているような気がする。




あの、開高健が



そして、沢木耕太郎が




同じような夜に、ねっとりとして優しい生暖かい空気に包まれたこの屋上のバーで、

「ミス・サイゴン」を飲みながら、同じようなことを考えていたのだろうか。











はるか彼方、メコン下流の方向に夜間飛行を終えた飛行機が光を

点滅しながら降りていく。




近くの席から女性の官能的な香水の香りがぼくたちの席まで漂ってくる。




このまちは、なんとぼくを奪い立たせてくれる激情的な都市(まち)なんだろうか。




このサイゴンは・・・・・・・。







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(336) ぼくが英会話が苦手なワケ・・・





どうしても、英会話が上手に話せるようになろうと思って、
英会話教室に通ったときがあった。




今から数十年前だろうか。




親父が経営している零細企業がスイスからニッティングマシンを購入するので、
研修に言ってこいと言われたからだ。




長年勤めている社員に親父が研修を進めたが、費用の関係で、一人で行かなければ
ならないため、誰も行きたがる人がいなかったんだろう。




だから、入社したてのぼくにおはちがまわってきたのだ。




物好きで、ミハーで、好奇心の強いぼくは勿論、喜んで承諾した。




それからは、機械の研修で講師が話す英語が理解できるようにと
思って英会話教室に通った。



しかし、なかなか上達をしない。
なぜなら、教室が終われば日本語で話す環境にいるのだから。




納得できるまで教室に通っていたら、いつになるか分からないから、
イチカバチカでスイスへの研修を強行した。



スイス航空の南周りのボンベイ経由ジュネーブ行きの飛行機は
たまたま、13日の金曜日であったせいか、ガラガラに空いていた。



到着後の空港の通関手続きで空港職員が問うていることが
全く分からなかった。



「これは困った」と思いながら、何とか通関手続きを終わり、
機械の研修センターの有るニューシャテルというところまで
行く電車に乗る。



電車は多分、チューリッヒ行きだと記憶している。



フランス語で「チューリッヒ」は英語では「ズーリック」という。
そのことを知らなくて、途中、だいぶ苦労した。



やっとの思い出ニューシャテルに着き、ホテルに何とかチェックインした。
ホテルのレストランで食事をしようとしてメニューを見せてもらったが、
皆目、内容が分からない。



ニューシャテルはスイスの中でもフランス語圏に属するらしい。



だから、レストランで注文にきたおばさんが、盛んにぼくにフランス語で
話しかけてくるが、全くぼくは理解が出来なかった。



たまたま、ぼくの横に座って家族で食事をしていたおじさんが、
英語で「食事の前にあなたは何を飲みますか」と訳してくれた。



かろうじて、その程度の英語なら理解できた。



ぼくはビールと周囲で食べているお客さんの料理の中から、おいしそうなものを
選んで、それを指で指して注文した。



こうなったら、マナーなどと上品なことを言っていられない。



しかも、英語はおろかフランス語のメニューなど分かるはずがない。



これから、英語で機械の研修を受けるのに、英語が理解できなくて、
どうしようかという不安がさらに深まる。



どうしても、英語を理解しないと生活が成り立たないという
環境が英会話の上達には絶対必要だとぼくは、経験をとうして理解した。




だから、どうしても英語を話さなければならない環境の中に入って、
悪戦苦闘するのが英語の上達の最短コースだとぼくは思う。



さらに、文法を無視するともっと英語が通じてくる。



日本人は日本の英語教育の思想の関係で、どうしても文法にこだわるが
それが、英語が話せないネックになっている。



中国から研修に来た林などは、全く文法を無視して単語を並べるだけで喋っていたが、
ぼくより会話が通じていた。



それを見て、英会話は度胸だとつくづく思った。



そして、ここ十年ぼくは英語を全く話していないので英語をすっかり忘れてしまった。



今月シェムリアップに行くときは、いつものようにJTB発行の六カ国の会話の
本を持っていって、ゼロからやり直しだ。




度胸で!!!。



林を思い出しながら・・・。







★★★ 小島心配してくれてありがとう ★★★







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