(472) ”C C S N” のプノンペン事務所
現在、非営利法人、(カンボジアン・チルドレン・サポート・ネットワーク)はNPOの
認可を東京都に申請中である。
http://www.ngo-ccsn.jp/
来年早々には認可が下りる予定だ。
活動の趣旨はカンボジアの親のいない孤児たちの自立支援である。
将来的には教育、職業訓練、人材派遣まで出来るといいと思っている。
とりあえず、プノンペンの孤児院「ライトハウス」の支援を始めている。
今まで、ぼくの人生において、子供たちとの係わり合いは皆無と言って
いいほどだった。
しかし、旅行の折、ここの子供たちの厳しい逆境にも関わらず明るく生きている
姿を見て、又、これらの子供たちを損得抜きで支援している各国の
若い人、又、資財を提供している現地の人たちの姿を見て、
ささやかな事しか出来ないかもしれないが、ぼくに少しでも出来ることが
あるのであれば、やってみたいと思うようになったのである。
CCSN代表の田中さんの行動力ある熱意にも影響された。
8月には写真のようなプノンペン事務所も開設されて、
現地スタッフのソシアも頑張ってくれている。
この、12月上旬には、事務局長の加藤さんらがライトハウスを
訪れて、子供たちが使う日常水の濾過装置をつくる予定だ。
加藤さん、ご苦労様です。
(471) カンボジア市民フォーラム
ぼくはNGO「CCSN」の活動を今年後半から始めた。
いままでボランティアなどに関わってこなかったぼくにとって、
ここ十年の中で一番のエポックメイキングな出来事かもしれない。
ガラになく、そんなおこがましいことが、ぼくに出来るのだろうか、
と言う不安も付きまとうが、しかし、カンボジアの孤児たちに
接して考え方が変わった。
やるからには中途半端には終わらせたくない。
CCSNの当初の目的であるカンボジアの孤児たちの自立支援を、
何とかカタチになるように成就したい。
ささやかな、そして、やれることは限られているかもしれないし、
自己満足かもしれないが。
有言不実行よりか有言実行が良いと思う。
昨日、バンコク在住の田中代表とPCのSkypeで打ち合わせをして、上智大学で、
開かれた「カンボジア・セミナー」に行ってきた。
「カンボジアにおける立ち退き問題ー日本の役割のこれまでとこれからー」
というテーマで、バンコク在住のNGO代表、土井利幸さんという人の講演会であった。
100名以上の熱心な参加者が集まったであろうか。
一言で言うと、
学校、井戸建設などインフラ偏重の開発モデルから、
法整備、諸問題に住民が解決する力を持たせる方向のカンボジア支援に
変えるべきだ、と言う内容だった。
カンボジア支援には全くのド素人であるぼくでも、それは良い方向だと思った。
まさにCCSNの目指す方向と合致している。
ぼくが講演会に出席したもう一つの目的のカンボジア市民フォーラムの
事務局長の山田さんともお会いすることができた。
ビジネス以外で、別分野の専門家とコンタクトできるのも楽しみの一つである。
次回の講演会のテーマ
(470) 野鳥への慈しみ(いつくしみ)・・・
連休最後の日、前から気にかかっていた柿の実を収穫した。
当初、ころ柿など作る予定ではなかったが、あまりにも多く実った為
作る気になったのだ。
個数にして百個ぐらいだろうか。
農家だと、実が小さすぎて作る気がしないだろうシロモノだが、なぜかぼくは
この自然の中に成長した柿の実に愛着を感じるのだ。
前のブログにも書いたように、新しい種類の、そして、ちょっと大きな実が
なる柿の木が1本増えて、2本の木からの収穫だ。
ぼくの好きな雑木風の庭にするには、柿の木などは違和感をかんじるが。
しかし、柿の実を収穫して、皮を剥きながら思うのは、全く消毒などの
手入れが、柿の木にはいらないと言うことだ。
そしてもっと素晴らしいことは、渋柿ではあるが、熟す時期を知っていて、
野鳥などがそれは綺麗に食べつくすのである。
昨年、収穫しなかった柿の実を見ていて、ほとんど柿の実が野鳥に
食べ尽くされていて残っていなかった。
すべての柿の実を収穫しては罰が当たるので、ほんの気持ちだけではあるが、
野鳥の為に、数個の実を残しておいた。
野鳥と言うよりか、生態系への慈しみと言ったほうが良いのだろう・・・。
そして、玄関の軒先に干し始めてあったころ柿のうち、知人から貰った
一番甘くて大きい干し柿が、サルに食べられているのに翌日気がついた。
見たわけではないが、多分、サルだろう。
これも生態系への慈しみなのだろう。
(469) 2012・・・
昨日、美容院「ラスティック」に行った折に、映画「2012」を見てきた。
多くの人に関心があったせいなのか、平日にも関わらす、観客が多かったのには驚いた。
TVでのCMで地球が裂ける場面を、さんざん放映していた影響なのか、
そのCGで作られた場面は写実的でけっこう迫力があった。
さすが、アメリカの娯楽映画の面目を保った映画だろうか。
それにしても内容は現代の「ノアの箱舟」と言う単純なモノだ。
その「ノアの箱舟」にだれを乗せて、だれを乗せないか。
今日の新型イーフルエンザにおいても、限られたワクチンを、だれから優先的に
ワクチンを投与していくかと言う、優先順序はなにを基準とするか。
それは、いつになっても永遠のテーマだろう。
勿論、「2012」はアメリカ映画特有の家族愛が大きなテーマとしても描かれている。
しかし、このCG技術の素晴らしさは、気分転換をするのにはもってこいの映画だろう。
(468) 「小さな驚き」
まだ年も若い、子安大輔さんの著書、
「お通し」はなぜ必ず出るのか―ビジネスは飲食店に学べ (新潮新書) という本に
素晴らしいことが書いてあった。
サービス業の継続発展させる為のポイントは
「小さな驚きがお客をまた同じ店に引き寄せる」
と言うことである。
サービス業の難しさは
どんなすぐれた経営者でもその小さな驚きを
くりかえし持続させることのできないところにあります。
あらゆる業種にも同じ事が言えるだろう。
ぼくの運営している「ジパング・イズム」にも言えることだ。
頂上の十合目を目指しているのに、まだ二合目あたりを、行ったり来たり
しているマンネリカしきった「ジパング・イズム」に、どのようにして新しい息吹を
注入するか迷っているぼくにとっては、黄金の言葉だろう。
日々進化していく、決して大きな驚きでなく、「小さな驚き」を継続できる
努力をしたい。
(467) 温暖化に歯止めか掛からず
今朝、「温室ガス 濃度過去最高を記録」というYahooニュースが流れた。
内容は以下のとうり。
世界気象機関(WMO)は23日、主要な温室効果ガスである二酸化炭素、メタン、
一酸化二窒素の08年の世界平均の大気中濃度が、いずれも観測史上最高を
記録したと発表した。一貫して上昇している二酸化炭素と一酸化二窒素に加え、
最近は横ばいだったメタンも2年連続で急増した。依然として排出削減の取り組みが
不十分な状況だ。
そして、ぼくはホーキンス博士の言っていたことを思い出した。
ノーブル物理学賞を受賞した、イギリスのホーキンス博士が指摘しているように、
人類は利害関係が調整できなくて、最終的には滅びると言う。
いよいよ、その予言が現実味を帯びてきたのだろうか。
晩飯を食べるときにTV何局かのニュースを見たが、そのニュースに
触れている局はなかった。
この深刻な局面にもっと深刻にならなければならないのに、そして、
この問題意識のなさが、最も深刻な問題なのだろう。
(466) 「邱永漢の予見力」を読んで
邱永漢という直木賞作家の読み物をぼくは好きで良く読んできた。
なぜ好きかというと、台湾出身者である彼は物事を見る基点が日本人と違って
極めて冷静な見方をすることが多い。
しかも、先見力が素晴らしい。
世の中の、ことの成り行きの進み方が邱永漢の話すことと、余り違わない。
そんなことで彼からの影響は、ぼくにとっては極めて大きかった。
邱永漢の説明はさておき、彼の直近の本が「予見力」である。
玉村豊男が邱永漢にインタビューするかたちで邱永漢の「予見力」 の本の内容が進んでいく。
玉村豊男は農業にこだわり、長野県にワイナリーとレストランを開いている。
その本によると、
中国は十年以内にアメリカを経済力で抜くだろう、そして、いずれは地方分権に
よる緩やかな連合体のようなスタイルになっていくのが妥当かもしれない。
又、今のまま経済発展すると近い将来、中国は食料不足に陥ることは目に見えている。
工業製品の作り過ぎによる飽和状態で、「工業の豊作貧乏」の時代が必ずやってくる、
工業の豊作貧乏は、どっちが潰れるかという競争になってしまって、いずれ、世界的な
大問題になってくるだろう。
だから、日本もそう簡単に景気が戻れないし、今まで起こったことが、また同じようなかたちで
繰り返すと考えるのはイージーすぎると思う、・・・・・・と。
なるほど、このままでは日本もイギリスのように落ちぶれていく可能性は
間違いないようだ。
現に、デフレが大きな問題になっている。
そして、いつかアメリカも・・・・・・・。
(465) はてな?アリの巣が
ぼくの住んでいる小さな雑木林のところどころに、ガマズミの木が咲いている。
秋になると、画像のように5〜6ミリの大きさの赤い実を、つけてくれる。
秋の紅葉と同じくして、このガマズミの赤い実が何もなくなった雑木林の中の、
晩秋の貴重な風物詩とも言っていいだろうか。
もし、このガマズミがなかったら、この季節があじけない風景になってしまうだろう。
そして、いつものように、ただただあてもなく雑木林の中を歩いていると、
ある一本のガマズミの木に、ごらんのような、いつの間にか、アリの巣が
出来ているのに気がついた。
遠い昔のぼくだったら、自然のこんなに小さい営みなど、どっちでも良かったのだろうと、
ほとんど関心が無かったのだが、とみにここ数年は目にとまるようになってきた。
アリの何の種類の巣だろうかと思って調べるところまではいかないが。
しかし、このような生態系で育まれる大自然の素晴らしさを、ここ数年
とみに感じるようになってきたのはなぜだろうか。
(464) ヤシャブシの実・・・
いつだったからか、いつのまにか家の南東側に「ヤシャブシ」という
名前の木が生えてきた。
昨日の初冬とも言える季節に、冷たい雨が降ったあとの
今日の青く晴れきったすがすがしい青空の中、誇らしげに
起立している「ヤシャブシ」は威厳さえ感じられる。
幹の枝の入り組んだ間をかいくぐって、ヤシャブシの実が青空の色の中に、
溶け込んでいく。
その実は2〜3センチの大きさだろうか。
理由はないけれだ、ヤシャブシの実にぼくは、いともしれない愛着を感じている。
ヤシャブシの落葉した葉は又、不思議なことに紅葉した葉ではない。
緑の色の付いたままの葉で落葉するのだ。
ベランダに落ちて仲良く並んでいるヤシャブシの葉と実に、クヌギの葉が
落ちてきて、仲良く並んでいる。
来年も又、同じようなことを繰り返しながら、今頃の季節にヤシャブシの
実はクヌギの落葉した葉と、仲良く並んでいるのだろうか。
(463) 思い出の壁掛け飾り・・・
昔、むかし、雑貨ショップを開店するときに店内の内装の壁塗りを
手伝ったことがあった。
手伝ったと言うよりか、好奇心旺盛なぼくは、ムリを言って左官屋さんに
ショップの壁を塗らしてもらったのだ。
まえから一度、壁塗りをやってみたかった。
プロの左官屋さんは長年の経験に基づいて無為自然な滑らかな塗り方を
するのに対して、ぼくは肩に力を入れて凹凸のある立体感をつけようと力んだのだ。
その、塗り方にぼくは当時満足していた。
しかし、何年かして久しぶりに壁を見てみると、左官屋さんの塗った壁のほうが、
ぼくが塗った壁よりか飽きないということに気がついた。
奇異をてらって凹凸のある壁を有頂天になって、当時塗ったのを思い出して
やっぱり左官屋さんのプロとしての技術に感嘆したものだった。
そのときの残った壁土で作ったのが写真の飾りである。
絵画用のキャンパスに壁土を塗り、竹のヒゴ、ワラなどで装飾を施した壁掛け飾りを、
5〜6個作ったが一個だけを残して全部売れてしまったのだ。
この一枚の壁掛けは記念に残しておいたものだ。
今、ぼくの家の二階の階段のところに飾ってある、思い出の壁掛け飾りを見て、
そんなことを思い出していた。
そして、新しい発想で、もう一度作ってみようかと・・・・・。