(555) プノンペンの美容院・・・
プノンペンのJICAを訪れた時に、プノンペンの孤児院「ライトハウス」に
ボランティア活動で来ているチャムナにたまたま出会った。
かれはプノンペンの一流大学の大学院の政治学科に通っていて、
将来はカンボジア外務省に入りたいという夢を持っている。
もちろん日本語はペラペラで、ぼくよりうまいくらいだ。
プノンペンJICA事務所は最近、プノンペンの一等地に越してきたという。
チャムナはJICAの無料のパソコンを利用しに来ていた。
我々はインターナショナルNGOの書類の申請での問題点をJICAに聞きにきた。
用件が終わってから、チャムナも誘ってシーフードを食べに行くことにしたが、
食事中チャムナがはじめて美容院に行ったという話をした。
その美容院は2ドル(180円)だという。
それなら、ぼくも髪の毛が伸びていたので、海外初体験の美容院に
挑戦したくなって、チャムナが始めて行ったという美容院に行くことにした。
その美容院に着いて、ぼくの希望をチャムナにカンボジア語で男の
美容師に説明してもらう。
はたして、大丈夫だろうかと思いながら、美容師の様子を見ていると、
だんだん不安になってきた。
このままでいくと最悪のヘアースタイルになりそうだ。
いやな予感がつのる。
しかも電動バリカンだけを使っていてハサミは一切使わない。
注文外のヒゲそりもやってくれているではないか、サービスかなとも
一瞬思った。
仕上がった髪型は、まさに丸坊主にちょっと毛がはえている感じの
髪型だ。
いやな予感が的中した。
いずれにしろ、2ドルだからしょうがないと思っていると、請求された金額は
5ドルだという。
話が違うではないかと、チャムナに言って、理由を聞いてもらうと、ヒゲそり1ドルと、
外国人のカットの料金は二倍だと言われた。
5ドルは日本から比べても非常に安いから構わないが、しかし、外国人の料金が
カンボジア人に比べて倍になるのは納得できない。
頭の大きさだって同じだ。
抗議してもしょうがないと思いながその店を後にした。
次は、バンコクの美容院にしようと思いながら・・・。
(554) 世界一と言われるブラック・ペッパー
幾つかの将来の収益事業の一つの選択肢として「ブラック・ペッパー」の農家をバスに乗って見に行くことにした。
プノンペンから200キロ以上はあるだろうか、カンボジアのブラック・ペッパーの生産地として有名なコンポンチャムに、カンボジア人現地スタッフのソシアの知人農家がブラック・ペッパーを作っているという。
プノンペンから200キロ以上をバスで行くとなると、5〜6時間はかかった。
予め電話連絡がしてあったせいか、バスを降りる停留場で、3台のバイクとともに3人が待っていてくれた。
それぞれ3人が3台のバイクの後ろに乗せてもらって、赤い土から巻き上がる土ぼこりを受けながら未舗装の1メートル位しかない狭い農道を進む。
途中、ブラック・ペッパーが育っている胡椒畑を見せてもらう。
葡萄の実が付き始めたぐらいの時の大きさの房に、2〜3ミリくらいの実がいっぱいついている。
房の中には赤っぽい実がパラパラ付いている、この赤っっぽい実は特に熟していて、より一層美味しいという。
今が丁度、収穫期だという、収穫した実は3日間ほどの天日干しをする。
畑を見せてもらい、昼食を出してくれるという農家に、バイクの後ろに乗ってさらに10分位進むとやっと農家がある集落に着いた。
昼食はブラック・ペッパーを中心とした料理を出してくれた、中に入っていた肉は何の肉だろうか。
いちばん上の写真が我々を迎えてくれた農家の夫婦だ、もろもろの話や取引の可能性の話などは、ほとんど奥さんが一人でした、ご主人は全くタッチしなかった、アジア特有の女性中心社会なのだろうか。
胡椒畑は最低限の消毒を一回きりしかしないという、消毒薬の節約もあるのだろうか、そして、消毒薬が高いために、それだけしかできないのだろう。
白井さんから忠告された除草薬は使っていないようだ、所々に草は生えているが、奇麗になっていた。
近所から集まった農家の人たちは我々の話を真剣に聞いてくれた。
みんな生きるために必死なのだろう。
我々はプノンペンの孤児院の子供たちの自立支援のために活動しているという説明をすると、その中心的になって話していた奥さんは「我々もこんなに貧しいので我々にも支援してくれ」と言っていたのが、プノンペンに戻ってからも、僕の耳に最後まで響いていた。
(553) 賄賂という生活費
当日ビザを依頼したタイ大使館のポリス(右端の人)
タイのバンコクに飛行機で着くと、自動的に30日の滞在が認められる。
今回の僕のタイ訪問の場合は、バンコクに数日滞在してプノンペンに
来てしまったために、問題が一つ残った。
費用の関係でバスを利用しなければならないからだ。
バンコクからプノンペンに入り、プノンペンで所要を済ませて、また
バンコクにバスを利用しての陸路で入る場合は、15日しかタイに
滞在出来ないのだ。
15日しか滞在期間が無いとすると、僕は困る。
したがって、タイの滞在期間を延長するビザを申請しなければならないので、
プノンペン滞在中にタイ大使館に申請することにした。
しかし、プノンペンのタイ大使館にビザを申請すると、なか二日おいて3日間
かかるという。
僕の予定の関係でどうしても、当日発行をしてもらわないと困る。
前から、噂に聞いているタイ大使館の前のポリスに頼むと可能だという。
さっそく大使館まで行って頼んでみた、思いのほかokの返事をすぐもらえた。
これはラッキーだ。
ポリスからの返事は、当日の4時までに出来る為には、20ドルが必要だと言われた。
いわゆる賄賂を払わなければならないのだ。
僕は了解してポリスに当日発行を頼んだが、パスポートを預けるので心配は残った。
しかし、4時に行ってみると笑顔で僕にパスポートに添付したビザを渡してくれた。
まさにこれは賄賂だといわれるものだろうが、実際にカンボジアを訪れてみて、
彼らの貧しい生活を見ていると、特に公務員の場合は給料が安くて、給料だけでは
生活できないのが、実態なのだ。
日本の場合の賄賂と違って、明日の一粒のご飯を得るための生活費なのだ。
ただの綺麗事だけの話ではない。
生きるための糧なのだろう、アジアの賄賂を批判する人は多いが、その人たちは
ただ外側にいて、綺麗事を言っているだけにしか思えない。
生きるための生活費なのだ・・・・・。
(552) やっとブログがアップ出来るようになった(プノンペンにて)
昨日20日、朝3時に起きて、4時15分発のバンコクからの
ポエぺト行きのバスに乗り、国境を越えて、通関手続きを済ませ、
ポエぺト発プノンペン行きバスに揺られること7時間、
夕方4時にやっとプノンペンに着いた。
ふり返って思えば、
成田を5月16日に出発して、バンコクでコンドミニアムを借りて、
日常の生活をする備品などの準備や契約などに追われて、
一息つく暇もなく、プノンペンでの所要の為の強行軍でもあった。
バンコク、プノンペン間を飛行機で飛べば、もっと楽なのだろうが、
今月から来月にかけて3報復しなければならないのだ。
節約しなければならないところは、節約しなくてはならない。
そして今日はプノンペンの我々が支援している孤児院の
ライトハウスを訪問してきた。
カンボジア政府に提出する、国際NGOへの申請の為のクメール語の
書類作りの為の準備の打合せや、9月に孤児院を卒業した子供たちを
職業専門学校に通わせるための受入れ体制の打合せの為に孤児院を
訪れてきたのだ。
帰り際に、女性の事務長のスレイ・ライアウトから孤児院の敷地内に
植えてあるマンゴをプレゼントされた。
そして、今、やっと、ブログを作れる時間が持てるようになった。
ブログネタが多すぎて何から書いて分からないが。
そして、さらに、
はてしなく続くこれからの事を思いながら・・・
(551) 幻の豆腐料理・・・
所用で八王子に行った折、この界隈では有名な「とうふ屋うかい」に行ってきた。
丁度、国道20号線に沿っているこの料理屋は、赤茶の土壁に囲まれた
豪壮な佇まいだ。
車でいつもよく通った甲州街道で、近代的なほかの建物とは、
一見雰囲気が違うこの料理屋に興味を持っていたが、豆腐の
料理屋とは知らなかった。
20号線沿いではなく反対の裏側の駐車場から入り、車を降りるとすぐ
入口がある。
門を入ると、大きな金魚が泳いでいる池がある、その池を渡って
お稲荷さんの小さい神社でおまいりをしてから、建物の
入口に入り、予約をした。
しばらく待つと、各棟になっている食事どころの棟に案内された。
12時前ではあったが、既に1組のお客さんが食事をしていた。
料理は、大豆から作られた豆腐をアレンジしたシンプルで淡白な
料理で、会席料理風に料理が出来次第、順次運んできてくれる。
勿論、車で行ったので、アルコール類は飲まなかったが、
日本酒を飲みながら、豆腐料理を肴にして食べるには
もってこいの料理だった。
(550) 「 唐草倶楽部 」・・・
同じコンセプトのクリエイティブな仲間を集めての「唐草倶楽部」を
ハルさんが音頭をとって活動をはじめる事になった。
みんな、唐草文様が好きな仲間なのだ。
ぼくも、そのクリエイターのメンバーの一員として参加させてもらうことになった。
それぞれが自分の得意とするところで、力を発揮して、作品を作るのだ。
しかし、なんと言っても,日本でも有数の陶芸家であり、著名な村岡さんご夫婦が
参加してもらえる事は心強い。
そして、天才的なクリエイターのsachiさんに、ホームページを
作ってもらえる事になりそうだ。
ハルさんが言うには、5月頃からのセット・アップになると言う。
何か、ワクワク、ゾクゾク、面白くなりそうだ。
既成の概念を乗り越えて、新らしい境地へ向かっての発信だろう。
そして、5月15,16日に唐草倶楽部の作品の発表、販売会を県内で
開く事になった。
さあー・・・。
(549) 美味しくご飯を食べる為に・・・
ぼくの食べているご飯は、全国的に美味しいことで、新聞紙上でも
有名になった武川米コシヒカリだ。
それでも、この地域で、いろいろな百姓さんたちの作った米を食べて、
「ジパング・イズム」でも紹介している牛田さんが一番美味しかったので、
牛田さんの作った、米を食べている。
勿論、美味しく食べる為に、玄米で保管しておいて、食べるときに、
10キロ単位で精米してきて食べるようにしている。
こだわって、ガス釜で炊飯しているのだが、1時間ぐらいは水に
つけておくと、もっと美味しく食べられる。
精米機は近所に何軒もあるので、不自由する事はない。
上白、標準、七分のうち、上白が一番美味しく出来る、しかし、
栄養分は余り残らない。
以下の順序で精米する。
近所の精米所
ここに玄米を入れる
10キロ100円入れて、七分のボタンを押す
数秒すると精米された米が出てくる
(548) カンボジアの幻 の「クロコショウ」・・・
田中さんがカンボジアから帰国したときにクロコショウを買ってきた。
よくよく話を聞くと、カンボジアは昔から、世界でも有数の良質のクロコショウを
栽培してきたと言う。
ポルポト政権下のカンボジアで、知識層への抑圧、弾圧などの内政によって、
国内は混乱して、クロコショウの栽培が低迷していたと言う話を聞いた事があった。
ぼくは、いままで、ほとんどコショウには関心を持った事はなかった、
せいぜい、ラーメンにコショウをふりかけるか、野菜炒めに使うか、または、
朝食の目玉焼きにふりかけるぐらいだった。
コショウなんてみんな同じようなものだと思っていた。
しかし、その田中さんがカンボジアから持ってきたクロコショウを、
すり鉢ですって、いつも使っているコショウの代わりに、そのクロコショウを
朝食の卵にふりかけて食べてみると、いつも卵とは違う、香ばしい、
深みのある美味しさなのだ。
まるで、いつもの種類の卵ではない、違った種類の卵を食べているような
錯覚さえおこさせる美味しさなのだ。
コショウだけで、こんなにその素材のよさを、引き立てて、美味しくしてくれるのと、
思うと感激する。
そういえば、大航海時代に、東洋のコショウを求めて、はるばる大海原を
超えてきた、ヨーロッパの貿易商人のことを歴史で習った事がある。
それほどまでにして、コショウは古来から求められてきたのだろう。
この、カンボジアの幻のクロコショウを、もっと、もっと多くの人たちに知って
もらいたいと思うようになった。
(547) 初春の雪にしては・・・
一昨夜から、昨日の朝にかけて雪が降り続いた。
今年は26年ぶりの低温が続いたと言うニュースをテレビで放送していた。
ここのところ、寒い日が続いて、冷え性のぼくにとってはしんどい。
加齢とともに冷え性の傾向が強くなっていく気がする。
そして、朝、起床すると、写真のような春の雪の風景だ。
朝食前にウッドデッキの上の雪を掻き下ろす、丁度、連日の雨でウォーキングが
出来なくて、運動不足だから良い運動になる。
いつものメニューの朝食を済ませて、玄関から道路に出る道の
雪かきを始めたが、40センチは積もっている雪を車が出られるように
約1時間半かけて、やっと終わった。
それにしても、こんなに積もった事は、ここ数年はなかった。
(546) 送別会を開いてくれて、ありがとう・・・
ぼくが今月、バンコクに赴いて、NGO活動をするについて、
青柳さんたちのグループが、ぼくのために送別会を
雪が積もっている中を、ぼくの家まで来てくれて開いてくれた。
メンバーは青柳さん、ハルさん、岡田さん、ミッホ夫婦、
ピーコ、ユサなど。
ぼく自身、手料理をなかなか自分では、うまくつくれないので、
女性の人たちが作ってきてくれた。
ハルさんの時間をかけて作った「いもの煮物」、
ピーコの野菜の色のバランスを考えて作った「ピクルス」、
ユサのコクのある、まろやかな「カレー」、
そして、ミッホーのたくさん食べても飽きない「フランスパン」など。
それぞれの特徴ある味付けで、大変美味しかった。
みんな、アムウエーを運営している関係で、料理はお手の物である。
ビールで乾杯して、いつものように楽しい前向きな話で、ひと時を過ごす事が出来た。
そして、ハルさんから、今まで知り合ってからの、いろいろな
思い出を撮影した写真や、ほかの人たちからの寄せ書きなどを
集めて編集して、それを収めた額を頂いて、タダタダ感激するばかりだった。
ハルさんの作ってくれたトンボ玉のブレスレッドまで頂いた。
こんなに、皆さんから祝福されて、手厚しプレゼントまで貰っのは、今まで、
大学を卒業する時に、後輩から送別会を開いてもらったいらいの事だろう。
青柳さん、ハルさん、岡田さん、ミホ、ピーコ、ユサ、そして、今日来れなかったけど
寄せ書きをしてくれた人たち、
ありがとう!!!
この機会に、さらに、みんなで素晴らしい、次のステップに向かって、進化していこう。
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