(708) バンコクの街角で、その三・・・。
ぼくのコンドミニアムを出てすぐの所に毎日通る橋がある。
この橋をとうるポホーンジット通りをまっすぐ行くとパカノンの
BTSの駅に行く。
この橋は長さ20メートルぐらいの長さがあり、両脇は
観葉植物が綺麗に飾られている。
そして、時々子供や大人が釣りをしている。
決してきれいな川ではないが、バケツを見ると魚で
うまっている事が多いから、結構釣れるのだろう。
今日もその橋と通ろうとして歩いていると、少年たちが
釣りと、網を持って魚を獲っていた。
僕がカメラを向けると、いま獲ったばかりの網をかざして、
写真のようなポーズをとってくれた。
網の中にはたくさんの魚が獲れていた。
バンコクにいて、このようなシチュエイションでのタイ人は
ぼくを不愉快にさせたことがなかった。
ありがとうと言うと、その少年は” never mind ”と返事をくれた・・・。
(707) 必ずしも大きい事がメリットでなくなってくる(二)・・・。
ホンダの社員とバンコクの居酒屋で話す機会をあった。
彼は日本から派遣されて、数カ月ごとにタイのアユチアにある
ホンダの工場に派遣されているという。
彼の主な仕事は、車の品質の向上をはかる事らしい。
やはり、タイでの生産と日本での生産とでは、まだ微妙に品質が違うらしい。
そして、ぼくはこの機会に質問したい事があった。
それは、
電気自動車の出現により、ホンダやトヨタのハイブリットカーが
必要でなくなってくると予想されている。
すなわち、リチウム電池が将来一回の充電で500キロ走れるように
なった時は、いままで蓄積されてきたハイブリットカーの技術が
全く必要でなくなってくるという事を、ホンダ社員の彼に聞いてみたかった。
もっと簡単に話すならば、モーターと、車のボディと、リチウム電池が
あれば、車は走るのだ。
そのようになった時は、トヨタやホンダのような大規模の工場は
必要なくなる。
小規模なベンチャー企業で事足りる。
イノベーション(技術革新)は今までの技術の蓄積を全く
無視して前に進むという現実が、過去に何回も起こっている。
高度の技術であればある程、イノベーションによって、もっと
早く過去のモノになるのだ。
想像するだけの空恐ろしい。
彼はそうだと認めた。
もしそうだとすると、日本の産業構造は抜本的に変ってしまう。
日本経済がプラスに向かうのか、マイナスに向かうのか分からない。
大企業だから安泰と言うよりか、大企業だからデメリットであると言う現実。
世界一の自動車メーカーだったGM(ジェネラル・モータース)を
見れば一目瞭然だ。
” 変化への対応 ” だけが、生き永らえる必要最低条件なのだろう。
そして、その変化の先行きに気付くのがこれ又難しい・・・。
(706) 必ずしも大きい事がメリットでなくなってくる(一)・・・。
先日のある日に、JALの客室乗務員をやっていた女性と
話を持つ機会があった。
彼女のご主人は、やはりJALの社員だという。
JALはご承知のように再建中の身だ。
そしてその御主人は、バンコク支店のリストラに苦悩していると言う。
ぼくの考え方では、やはりJALは倒産さすべきだと今でも思っている。
そうしなければ、JALの ”頼らば、大樹の陰” 的考え方を払拭することが
出来ないと思っていた、案の定、いまだにもめている。
その体質を抜本的に変えるのには、一度整理して、危機感をもって
0からやり直さないと、その甘えの体質は変わらない。
倒産させないと決めた前原前国土交通相の大きな判断ミスだろう。
JALの整理以前に、政治家の甘えの体質も変えなければならないのだが・・・。
(705) 男の、その生態系の摂理とでもいうべきか・・・。
ライオンは十数棟の群れをなして生きている。
いわゆる集団生活だが、ここで一番偉くて威張っているのは、
群れの長である雄ライオンである。
このボスの下、数頭の部下ライオンンと、多くの雌ライオン、
そして子供ライオンたちがグループを成して従っている。
しかしライオンの世界では、強いはずの雄は餌を獲ってこない。
見たらわかるとうり、雄ライオンは大きなタテガミがついているので、
前が重すぎて敏捷に走れない。
その為、餌を獲るのは頭の軽い雌ライオンの仕事になっている。
では、雄は何をするのか。
王者の雄はグループが生きていく領域が他のライオンに侵犯されないよう、
絶えず地廻りをし、領内の安全確保につとめている。
おかげでグループ内にいる限り、雌ライオンンも子供ライオンンも
安全で、生活は保障されている。
だがこのグループも、よそ者のライオンに狙われている。
それも若くて力のある雄ライオンンが徘徊し、ある時突然、
挑戦してくる。
ここで凄まじい格闘が繰り広げられるが、雌ライオンはこれを
ただ傍観しているだけである。
かくして激闘の末、侵略者を追い払えればいいが、ボスライオンが
負けた時は一大事。
それまでのボスライオンは数頭の部下ライオンとともに、
群れを追われて去っていく。
ここで驚くことは、かってこの雄ライオンと関わり、何頭もの
子供まで産んだ雌ライオンが、なにもせず淡々と見送ることである。
もはや地位も力も失った雄ライオンは不要、とばかり見限るとは。
ドライというか、それこそ雌らしいというべきか。
こうして群れを追われた雄ライオンンたちはサバンナを
うろつくが、もはや餌は獲れないし、助けてくれるものもなく、
やがて野垂れ死にするだけ。
良くサバンナの石塊の陰などで倒れて死んでいるのは、
こうして敗れたライオンである。
まことに雄の運命は危ういというか儚(はかな)いが、これに似た
非情さは他の動物でもよく見られることである。
たとえばカマキリだが、この雄は性交のあと、雌に
食べられてしまうとか。
「これと同じように、人間の世界でも・・・」などという気はない、
いやいいたくない。
しかし年齢をとり、力を失った雄は、そして男は、みな同様に
生き辛い宿命を背負っているかのようである。
と、
渡辺淳一が雑誌で語っていた、果たしてそうなのだろうか・・・。
(704) また、やっちゃった・・・。
何も考えなくて、衝動的にふっと部屋を出てしまう事がある。
まるで浮遊病のような症状であるが、頭の中で別の事を考えているのだろう。
何を考えている事言うと、今懸念している事だろうか。
そして、カギを部屋に置いたまま、部屋を出てしまった。
ここに越してきて3回目だ。
例によって管理事務所に行ってドアーを開けてもらう為の依頼をする。
ここのコンドミニアムには、そのような事に対応してくれる
作業員がいるようだ。
管理事務所のスタッフが係の作業員にすぐ電話してくれて、
ドアーを開けてくれる作業員がすぐ来てくれた。
そんなトロイ事をするのはぼくだけかと気になって、聞いてみた。
彼女が言うには、週に2〜3人はいると言う。
「ぼくだけでなくて良かった」と同じ仲間がいる事に胸をなでおろす。
そして、考えに考えあぐいた末、画像のような”ウルトラシー”を
思いついた。
部屋の中のドアーのノブの上についているフックにカギを
掛けておけば良いのだ、部屋を出る時に、そのフックを
開かなければ部屋から出ないからだ。
フックを開く時には、フックについている部屋のカギを必ず
持っていかなければならないように。
しかし、部屋に帰ったら必ず、フックをセットしてカギを
掛けておかなければならない。
はたしてどうだろうか???
もしこの方法がダメな時は、カギ自体を自動ロックでない
カギに変えれば良いのだが・・・。
(703) 消化試合にならない人生の為に・・・。
男の40歳前後は、大きな分岐点だと良く言われてきた。
大体、40歳ごろになると自分の先が見えてくる。
だから、
サラリーマンだと、今の会社に残るべきか、思い切って
会社を辞めて、新しい事に挑戦するかを考える
ようになるのだと言う。
なぜなら、この時期を超えてしまうと
独立しようと言う気力というか胆力が年齢的に
失われていく事が多い。
したがって、独立するか、いままで歩んできた道を変えるか、
最後のチャンスが40歳前後なのだ。
そして、独立した人、道を変えた人が、一番頑張れるのが40歳からだろう、
死に物狂いでやれば、よっぽど判断を間違わなければ
一定の成功をおさめるだろうから。
そして、50歳代は円熟味を帯びた仕事が出来るように
なるのだろう。
"消化試合"を扱った小説
しかし、最も避けなければならないのが、同じことの
繰り返しにならないように努力しなければならない事だ。
プロ野球などで良く言われる、”消化試合”すなわち、
ただただ試合をして、残っている試合をこなすだけの
徒労の時間だ。
最近いつも想う。
これからの日々、昨日と違った今日、今年と違う来年に
なるよう努力しなければ、
と・・・・・。
しかし、実際はそんな理想論とは違って、思った通りにいく事の
ほうが少ない。
が・・・。
望むべきしてそれに叶うようにしなければならないと思う。
人生の消化試合にならない為に・・・。
(702) 夜のプノンペンの”Water Festival”点描・・・。
夜のトンレサップ川をゆっくりと行きかう電飾船、川面にその電飾が
反射してお祭り気分をさらにたかめてくれる。
この「水祭り」は水の神様にお祈りして五穀豊穣を願うのものだろうか。
電飾船を遠望する、まるでカンボジア人の願いが燃えているようだ。
川幅の広いトンレサップ川の向こう側にも、ネオンが輝いている、
しかし、今日はネオンを電飾船のために消してあったほうがいい。
次から次へと電飾船は川面を行きかう、数えてはいないが十数隻は
見ただろうか。
プノンペンで有名な王宮も輪郭を電球でカタチづけられている中、
多くの人たちが、お祭りを祝う、プノンペンで一番のお祭りだと
言われるだけの人ごみだ。
この通りは、人が多すぎて前に進めない、しかし、体が触れ合っても
嫌な顔一つしなくて、微笑むカンボジア人、日本だとケンカになるだろう。
各企業の販売キャンペーンのブースが続く、この先がコンサート会場だ。
ぼくの幼少のころの、数十年前の日本のお祭りを思い出した。
そんな雰囲気が漂っていて、日本と同じ仏教国のせいでも
あるかも知れないとつい思ってしまうほど、ぼくはこの
お祭りに親しみを感じた・・・。
(701) 昼のプノンペンの”Water Festival”点描・・・。
多くのカンボジア人がトンレサップ川沿いに繰り出していた、川幅は
数百メートルはあるだろうか。
いろいろな出店が川沿いに店を出している。
川沿いのオシャレなレストラン、ここのオーナー、スタッフは前回
訪れたぼくの事を覚えていてくれて、笑顔で迎えてくれた。
ここではおもに朝食を食べた。
町並みはフランスの植民地の面影を残す。
いろいろなチームが数十人は乗れるボートで速さを競っていた。
来ているTシャツもお揃いだ、全く、日本と同じ。
たぶん今日の為に練習をかさねてきたのだろう。
いろどり豊かなTシャツがレースに花を添える。
朝から、長時間行われているところを見ると、結構な数の
チームが参加している模様だった。
*ぼくがプノンペンを去った日に、橋の上で、300人以上の
人たちが混雑の為折り重なって死亡したニュースが
ながれてきた、亡くなった方々のご冥福をお祈りします。
(700) プノンペンのリバーサイドの昼下がりのカフェで・・・。
お客はファーランだけのオシャレな川沿いのレストラン
思えば、ここのところ何回プノンペンに通っただろうか。
今回はたまたま、プノンペンの一番大きなお祭りに出くわした。
”Water festival”という英語名も付いているこのお祭りは、
メコン川と合流するすぐ手前のトンレサップ川の川辺で行われていた。
このお祭りを見る為に、プノンペンに住んでいる人は、田舎から
親戚などを招待するという。
我がカンボジア人スタッフのコサールも田舎から親戚が来るので
来月の給料の前借を申し出てきた。
昼はプノンペンの町内対抗ボートレースが行われていたが、夜になると
花火からはじまって、電球でいろいろなカタチに装飾された船が何十隻も
川を行き来する。
川辺の遊歩道にはいろいろな食べ物や、生活用品などを売る出店が
数キロ続く、また、ビール会社などが主催するカンボジア歌謡曲の
コンサートなども開かれていた。
カンボジア人の友人らとぼくも、夜店をひやかし、川に浮かぶ
船を見ながら練り歩いた、ぼくの幼少のころもたしか、このような
雰囲気のお祭りがあった事を思い出した。
基本的に、お祭りの様子や雰囲気は同じ仏教国である
日本とあまり変わらない。
その日も日本と同じように、ぼくらも、お酒でお祭りを祝った。
翌日、そんなお祭りでの飲み過ぎた余韻を引きずりながら、
ホテル近くのトンレサップ川沿いのオシャレなレストランで、
ドラフトビールとハンバーガーの遅い昼食を食べた、
予想外に美味しかった。
そして、
なんとなく残る気だるさが感じながら、夕方のバンコク便に
乗る為に空港に向かった・・・。
(699) このソイ・ポーンジット界隈がいい・・・。
下町風情あふれるこの通りをソイ・ポーンジットという。
ぼくは、毎朝、コンドミニアムからこの通りをとうって出かける。
行き来する何人かのタイ人とは、挨拶をまじえる事もある。
今日、友人に誘われて、タイ・トヨタの工場見学に行ってきた。
油一滴、床に落ちていない整然としたきれいな工場だ。
作業員は決められたマニュアルにそって、まるでロボットの
ような作業をしていた。
2分間に1台の車を生産している、世界屈指の最新工場だと言う。
そして、見学を終わっていつものようにバイクタクシーで
この通りを通りながら、トヨタの超近代的な自動車工場に
なんらの感激もなかった事に気付いた。
それに対して、何とこの通りは
余りにも、人間の営みともいうべき”におい”を発散させていて、
人間の生きている生活臭を漂わせているではないか。
このソイ・ポーンジットの通りが、ぼくは大好きだ・・・。