(1140) かたい桃がうまい・・・
山梨はフルーツ王国で有名である。
勿論、一番有名なのがブドウだろうか。
なにしろ、種類がいくつもあってぼくも知らないくらいだ。
サクランボーもよく知られているが、、桃も美味しい
ことでは全国で知られている。
白桃という種類の桃は特に有名だ。
しかし、ぼくの場合は、かたい桃が大好物である。
もしかすると、かたい桃は産地でなければ
食べられないと思う。
いや、産地に住んでいても、なかなか手に入らない。
知人の桃農家に頼んでいて、初めて手に入る
代物なのだ。
そして、今回の帰国で、たまたまスーパーに
売っていたので、手に入ることが出来た。
カリッと言う音をだしながら食べる、このかたい
桃は、甘みは勿論少ないが、なんとも言えない
甘酢っぽい食感がいい。
このかたい桃を買ってきた翌日、知人から
多くの桃をもらった。
白桃だ、こちらの方が値段も高いし、甘さも問題に
ならないくらい甘い。
しかし、やっぱりこのかたい桃が、好きだ。
(1139) むしろ、日本の方が安い・・・
日本滞在中、一人住まいのぼくは、弁当に頼ることも
多い。
ぼくの住んでいる武川も最近、村から町に変わった。
町になったからというわけでもないだろうが、武川町にも
食品スーパーがいま建設されている。
武川の隣町にある同じ会社の食品スーパーから
イカ天弁当を買ってきた。
厚いイカのてんぷら、そしてボリウム満点のご飯が
ついて300円だ。
この値段、そしてこの内容に朧いた。
バンコクでぼくがいつも頼んでいる弁当の宅配も、
多分この内容ならば、2倍以上はするだろう。
「あなた、この弁当の価格は家でつくるよりか安いヨ」と
スーパーの棚に弁当を並べているおばさんから、
言われた言葉が、頭から離れない。
そして、このスーパーが武川に出来て、小額の
買い物でも宅配をするという話を聞いている。
この弁当も宅配してくれるならばありがたい。
それにしても、これで利益が出るのだろうか。
(1138) kindness on 29 July・・・
武川の家に帰る為には、成田から6時間かけて日野春駅に夜着く事が多い、人の気配がない
この6、7月の2ヵ月の間に、いろいろな用事の為に
バンコクと日本を3報復した。
昨日、29日、日本での所用を終えて、わが武川の家から、
成田に向かう。
家から中央線日野春駅には、タクシーで行く場合が
多いが、昨日は、時間的に余裕もあったせいか、タクシーを
乗る為に、タクシー会社まで、歩くことにした。
しかし、歩き始めると、車が止まってくれて、親切にも
日野春駅まで送ってもらった。
70代の民宿経営の女性で、わざわざ用事で行くところを
遠回りして、日野春駅まで送ってくれたのだ。
都市と違って、地方では、まだまだ親切にしてくれる
人が多い、古き良き時代の日本が残っていて
嬉しし、昔の日本は今と違って、このような人々で
あふれていた。
送ってくれた、 I さんありがとう。
(1136) 世界中で貧富の差が開いていく・・・
しかし、シュムリアップの繁栄と騒音に比べて、その周辺の
村は、あいも変わらず貧しい。
東大の末広教授に言わせると、世界的に、どの国でも
貧富の差が、これからさらに開いていく流れを変える
事は出来ないと言う。
勿論、アメリカでも日本でも、そして中国、カンボジアでも
そうなのだろう。
それにしても、シェムリアップ近くの、我々が訪れたこの
市場でも、はだしで歩いている人達がまだまだ多い。
農作物の世界的高騰によって、カンボジアの農家の
生活レベルは大分あがってきているのだろうが。
しかし、今の日本並みのレベルに行くには、どのくらいの
月日を要するのだろうか。
ふと、考えても仕方がない事を、考えてしまう・・・。
(1135) 3年ぶりのシュムリアップ・・・
ナイトバザール周辺のレストラン街
そう言えば、まえに、ここシュムリアップに来てから3年が
経ったのだろうか、あっという間の3年だった。
改めて、月日が過ぎ去っていく速さに驚く。
ぼくも入れて大学時代の探検部OB+1の4人のグループで、
シュムリアップのアンコールワットを訪れた。
そして、そのときも、今は亡きヘンリーのホテルに泊まった。
残念ながら、ミスター・ヘンリーは今年5月に亡くなったと言う。
ホテルからは、個性的な彼の雰囲気が漂ってくるようだった。
ホテルを探すのが面倒なので、ヘンリーのもう一つのゲスト
ハウスに、今回も泊ったが、マネージャーにビサールが
なっていた。
前回、ガイドの彼にアンコールワットを案内してもらった。
あいも変わらず、陽気な男だ。
そして、驚いたことにシュムリアップのナイトバザールを
中心とした夜の繁華街が、3年前と比べて、比べ物に
ならないくらいの大きさになっていた。
中国人の観光客が非常に増えいるようだが、欧米人も
相変わらず多い。
レストランの値段は、競争相手が多くなった為なのだろうか、
3年前と比べて、大分安くなったようだ。
それにしてもアジア第一の観光地アンコールワットは、
まだまだ発展しそうな雰囲気だ。
(1134) シュムリアップへの途中で・・・
バスの食事時間の休憩風景
カンボジアでの移動は、ほとんどがバスだ。
一部鉄道があることにはあるが、ほとんど
貨物専用らしい。
最近、シェムリアップ、プノンペン間に、新しい
バスを使った会社が出来た。
時間は6時間半くらいかかる。
料金は13ドルだが、カンボジア人は6ドルの
安いバス会社を使う事が多い。
この新しいバスを利用して、この日はプノンペンから
シェムリアップに向かった。
途中必ず、昼飯用の休憩が30分ある。
そこで、昼食を食べるのだが、どこの地方に
行っても、そこのカンボジア料理の食事を
躊躇わらずに食べることが出来るようになった。
カンボジア料理は、しかし、味付けが、実に
日本の料理と似ていて食べ安い。
あのスパイシーなタイ料理よりか、カンボジア料理の
方がぼくは好きだ。
贅沢を言うならば、ご飯がかたい、日本のようなご飯が
あれば、申し分ないのだが・・・。
(1133) カンボジアの奥地へ・・・
ほとんどのカンボジアの地方は、歩き尽くしたのだろうか。
タイ国境、ラオス国境、ベトナム国境付近などの
カンボジアの僻地を。
カンボジアは最近、経済発展とともに、急激に土地の価格も
高騰している。
今回も、プノンペンからアンコールワットのある
シュムリアップへ向う国道を6時間走り、シュムリアップの
手前をさら奥地へ2時間ほど車で走る。
今は雨季である為に、ここのところ、夕方になると、
必ずスコールが降ってくる。
それこそ、土砂降りと言う言葉通りの振り方だ。
ここ、PREAH VIHEAR州は、カンボジアの中でも
最も貧しい州だろうか。
そして、この州のスコール明けの空は、どこまでも透き通る
ような透明感のある空だ。
しかも、この州の景色は、なだらかな起伏のある丘が
連なって、緑が多い風光明美な風景が続く。
まるで、トトロの風景をさえ連想させるようなところだ。
(1132) 久しぶりのヤワラ・・・
某外資系航空会社のMさんが、久しぶりに成田から
バンコクに定期便を操縦してくることになった日。
彼とヤワラのシーフードの屋台のT&Kに行ってきた。
東京大学の末広廣昭教授の勉強会の後だった為に、
大分遅くなってMさんと会って、ヤワラに向かった。
ウイークデイには、どうしようもないくらい渋滞が
激しいヤワラに向かう道路も、土曜日だったおかげで、
道路は渋滞なくすすむことが出来た。
それにしても、ヤワラのこの界隈は、あいも変わらず、
多くの人達で、ごった返していた。
安くて、美味しいと言うこのシーフード屋台は、何回
きても、ぼくの期待を裏切ることはない。
エビやカニ、カキなどを食べても、ぼくの知っている
シーフードレストランの半値以下で食べられる。
しかも、その日は多くのタイ美人が、ぼくの周りで
食事をしていて、美味しい料理と、美女に囲まれた
ムーディーナイトをすごすことが出来た。
帰りがけには、ここの名物の甘栗を持ちかえった。
なぜか思い出す。
(1131) 自分を追い込む・・・
これから、余計な新しいビジネスを、わざわざしなくても、
贅沢さえしなければ、ひととうり、日常生活が困らないように
やっていける年齢に、ぼくも達したのだろうか。
しかし、何にもしなくて、このまま、趣味とボランティアで、
無為な日々を過ごしたくない。
昨年よりも、今年の方が想うとするところの充実した日々を
おくれるようにしなければならない。
堂々巡りして、去年と同じ立ち位置で、今年も、立ちとどまる事は
性分に合わないい。
それと、若き人材をも育てなければならない。
過去に成功事例があればあるほど、過去に拘らずには
いられない人々が多い中、不幸中の幸いにも、ぼくには
過去に成功体験がない。
親の財産を引きついたわけでもない。
貧乏してでも、自分の足で一歩を築きたいと言う、奢りを
持ちたいと思っていた。
さらにここで、”0を1にする”クリエイティブな発想で、
ぼくの矜持とするところをめざして、前にすすみたいと
思う気持ちもあるが、歳の関係か、昔のような気力も
活力も衰えてきた事は否定できない。
しかし、自分を追い込んで、自分から動かない事には、
これからのすべてが始まらない事も分かっている・・・。
07
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--