(1377)小説 ”病葉流れて”・・・
ここのところ、白川道の”病葉流れて”シリーズを読んでいる。
ぼくがまだ若いころ読んだ五木 寛之の”青春の門”の
流れをくむ本なのだろうか。
病葉(わくらば)という言葉をぼくは知らなかった。
病気や虫がついて枯れた葉のことを”病葉”というそうだ。
要するに、社会的規範からいうとロクデナシの
物語かも知れない。
「あたって砕けろ」とか「ダメモト」という考え方が
好きなぼくにとっては、きわめて面白い小説だ。
社会の決められた仕組みのなかで従順生きる
マニュアル化された生き方を好む日本人には
受け入れないのかもしれない。
アウトサイダー的な生き方に、呑み込まれながら
この五巻の小説を読み始めた。
ぼくも含めて、多くの人々が日々の退屈なルーチン
ワークという魔宮の世界に生きなければない現実。
クレイジーな非日常的な世界に思いを馳せて
読んでいる・・・。
(1376)パートナーとしてのタイ人女性・・・。
ぼくの住んでいるコンドミニアムは比較的
バリュープライスな家賃だからか、多くの
欧米人が住んでいる。
なかには、年齢差のあるタイ人女性との
カップルも多い。
タイの女性は、比較的、日本人女性みたいに、
パートナーとの年齢差を気にしないかのように
思われる。
もちろん欧米人や日本人は経済的に恵まれて
いるからの要素も大きいと思う。
また、日本人女性に多く見かけられる、駆け引きも
タイ人女性は少ないように見受けられる。
20〜30代のタイ人女性と同棲もしくは結婚している
日本人男性などの話を聞くと、タイ人女性は異常に
嫉妬深いという話をよく聞く。
少しでも遅く帰るならば、ひっきりなしに電話が
来ると言う。
もともとタイの男は浮気者だという環境からか、
女性からの信頼感がないという伝統なのだろう。
ある日本のIT企業に勤めるY君は、一週間に一度は
同棲しているタイ人女性の強い拘束から逃れるために
ホテルに一泊すると言っていた。
それでも、日本人女性よりかタイ人女性がいいという
日本人が多くなっているように思われる。
その傾向は、仕事もなくただ漫然と日本から逃れてくる
連中だけではないようだ・・・。。
(1375)そして、次の自転車の旅は「しまなみ海道」か・・・。
せっかちなぼくは、考えている。
自転車の旅で琵琶湖の次に行きたいところは、やはり”水辺 ”が
いいのだろうと。
ぼくの武川の家は山の中だからどうしても雄大な解放感が漂う
海辺の方がいいだろうか。
そして海上を流れてくる風にふかれてという”シチュエイション”が
どうしても必要だ。
となると、どこだろうか?
あえて、言わせて貰えれば、海を見渡せる露天風呂があればいい。
そしてもうひとつ言うならば、人影の少ない、俗化していないところで
あれば申し分ない。
以上の条件をクリアーできるところは、瀬戸内海の「しまなみ海道」が
すぐに頭にうかんできた。
このコースは自転車ファンにおいて、もっとも人気なコースらしいから、
俗化しているだろうが一人旅だから気にしなくていい。
尾道から出発して、終着地をどこにするか。
今のところ愛媛県の県庁所在地の松山を通って佐田岬の三崎港へ
向かうコースがいいのだろうかとも思う。
又は、その逆コースか。
道中の最大のポイントは、夕焼け時に「しまなみ海道」を
渡らなければならない。
途中露天風呂のある島に泊ってもいい。
文章が長くなってしまったが、このブログにこうして
書いておくと、ぼくの頭に暗示され、いつの日か
不思議とそれが実現できてしまう・・・。
(1374)度琵琶湖の「つわものどもが夢の跡」をたどって・・・。
かって、ぼくは台湾の自転車ケーカーのジャイアントに
乗って琵琶一周の旅に出た事があった。
それはそれは、いままで経験したことのない素晴らしい
一人旅だった。
ぼくはあまたな旅をしてきたが、自転車の旅がこれほど
素晴らしいとは思わなかった。
清々しく広がっている琵琶湖の湖面を横切ってくる
南西の風が頬を撫でていった。
その旅の目的は三日間かけて、琵琶湖を一周する事でもあった。
周囲240キロの琵琶湖は、当初ぼくには無理だと思っていた。
一日100キロの計算だ。
ぼくのいままでの常識から言って、とてもそんなに走れるわけが
ないと思っていた。
しかし、長浜城の駐車場に車をおいて、琵琶湖を時計回りに
走り始めると、その快適さ、その心地良さにもしかすると、
一周できるかもしれないと思い始めた。
一日目の夜の琵琶湖を一望できる風呂からの琵琶湖の
夜景を忘れることが出来ない。
自転車の旅ならではの人々との出会いもあった。
それから何年か経った今、もう一度、今度は逆のコースで、
琵琶湖一周をしたいと思いはじめている。
歴史の集積地でもある琵琶湖周辺を、歴史のロマンを
たどりながらもっとゆっくり周ってみてもいい。
「夏草やつわものどもが夢の跡」を・・・・・。
(1373)「ジャイアント」 という自転車メーカー・・・。
車体の軽量化に成功して、今や世界一の売上を誇るという。
しかも高価格自転車が生産の中心だという。
その番組を見ていて、そう言えば、ぼくも「ジャイアント」の
自転車を持っていた。
しかし、欧米のメーカーだと思っていた。
自転車という軽工業にも関わらずコモディティ化されず、
自転車で世界に君臨しているという。
人口減少の流れに抗しきれず消費が減っている日本の
企業のほとんどがコモディティ化している現状のなかで、
「ジャイアント」がひとつに成功のビジネスモデになるのだろう。
たえず、自己変革して企業も変化に対応して、変わって
いかない事には将来がない。
何もしなかった場合には、いつの日か徐々にボディブローを
うたれたように、体力が弱まってくるのだろう。
企業にとって、現状維持が最大の敵なのかもしれない。
その番組を見ていて、そのような事を暗示していると思った。
栄枯盛衰、それが歴史の矜持なのだろう。
そして個人においても・・・。
(1372)ベランダのすぐ目の前の木からピーピーという鳴き声が・・・。
(1371)島田庄司の本「写楽」・・・
写楽の「奴江戸兵衛」
ここのところ、時間的に余裕が出てきて、ジェフリー・アーチャの
「時のみ知る」と「死もまた我等なり」という短庫本の連続ものを
4冊読んでしまった。
ぼくが交通事故で入院した20数年前に見舞客が持ってきてくれた、
「ケインとアベル」というアーチャの小説が面白かった事が記憶に
あったからだ。
そして先日、日本滞在中はあたふたとして本も買う事が出来なかった
ので、成田の書店で「写楽 閉じた国の幻」を買ってきた。
”このミステリーがすごい”第2位だという文字が表紙を飾っていた
から、この本を買ったわけではない。
そもそも、”このミステリーがすごい”という事で、その本が
すごかったためしがなかった。
いかにも、面白そうなキャッチコピーなのだが、それにつられて
買った事がある本で、面白さを感じた事がなかった。
そして、この島田荘司という武蔵野美術大卒業の特異な経歴を
もつ作家に興味を持って買ってみた。
島田荘司という作家の小説も読むのははじめてだ。
写楽という浮世絵師を題材にしたところもおもしろそうだ。
写楽は、実は平賀源内なのだという推論。
江戸時代が好きになりそうだ・・・。
(1370)天上の花、”ヤクシマシャクナゲ”・・・。
シャクナゲは、ずーっと以前から好きでたまらなかった花だった。
☝
たまたまNHKプレミアムでの放送を見て思い出した。
ヤクシマシャクナゲは、シャクナゲのなかでも、ぼくに
とっては別格の存在だった。
その柔らかな優しいさが、あたりをつつみ込んでくれる、
なんとも言えない雰囲気を醸し出してくれる。
そして、その淡い色合いの素晴らしさが言葉では表せない。
もっと言うならば、水分を多く含んでいるような、その
みずみずしさが最も大きな魅力と言っていいだろうか。
しかし、高山でないところでの栽培が難しい。
ぼくは、何度か栽培を試みたがうまくは出来なかった
にがい経験がある。
それゆえに、さらなる魅力を”ヤクシマシャクナゲ”に感じざるを
得ないのだろう。
そして、いつの日か屋久島の宮之浦岳に登って、天上の花、
”ヤクシマシャクナゲ”を思いっきり愛でてみたい。
(1369)いみじくも、ブログ・デザインを変えて・・・。
長年親しんできた旧来のブログのデザインを変えざるを
得なかった。
文字が重複してしまう不具合が生じたのだ。
早速、JUGEMに問合せると、ブログ・デザインが関係
しているらしいというアドバイスを受けた。
仕方がなく、新しいデザインに変えることにした。
そして、今、表示されているデザインにすることにした。
未来へ向けての悠久の躍動感と解放感を感じさせる
デザインが気にいった。
ブログは自分自身の“立ち位置”を客観的に確かめるのに
丁度いい"ツール”だと思っている。
しかし、デザイン変更にともなって今まで書いたブログの
文字色がブルーだった為に、新しいデザインでは
読めなくなった。
新しいデザインの文字色はグレーで読めるのだが、
いままで書いたブログの文字色さえもグレーに変えないと、
文字が読めないという弊害をどのようにしてクリアー
できるのだろうか。